
(八甲田山麓にはまだ雪がいっぱいじゃ)
田老から沿岸沿いに北上。
久慈から八戸、七戸、さらに八甲田山麓を抜ける394号線を通って、
目指したのは「八甲田雪中行軍遭難資料館」。
【八甲田雪中行軍遭難事件】
1902年(明治35年)1月に弘前第8師団歩兵第5連隊は
日本とロシアが開戦し、八戸にロシア軍が上陸したことを想定。
そして兵員の移動及び資材の輸送補給路の調査するための
雪中行軍中に猛吹雪に遭い遭難した事件であります。
参加兵員210名中199名が死亡(うち6名は救出後死亡)するという
山岳事故としても前代未聞のすさまじいもの。
ここには遭難事件関係の資料が展示され、遭難で無くなられた英霊の方々を
弔う共同墓地もありますが、ここに来たのは完全にわしの趣味です、ハイ。

資料館の周りにはソメイヨシノが満開!
弘前城ではだいぶ散っていた花もここで見ることができてよかった♪

中に入ると、遭難時に直立したまま仮死状態で発見された
後藤房之助伍長殿の像がお出迎え。





館内は撮影自由。
社会情勢や遭難の詳細な状況、装備品の展示などがされている。
しかし時代を考慮したとしても厳冬期の装備としてはどうなんだろう?
旧日本陸軍の組織性が見え隠れするというのは考え過ぎか?
さらにミニシアターや遭難経路、遺体発見場所を示すジオラマが
遭難の経緯をより現実的に感じさせてくれる。
どうしてこのような大惨事になってしまったのか?
極度の天候悪化、指揮官の状況判断、指揮系統の混乱、装備の不備など
要因に対しては諸説あるようですが、いずれにしてもマイナス20度以下の極限状態で、
必死に生きようとされた兵士の方々の心境を思うと胸が締め付けられる。
この事件を忘れず、これからの教訓にしないと死んだ方々も浮かばれないな。
最後に資料館の裏にある幸畑陸軍共同墓地をお参りして出発。
やすらかにお眠りください。
さて出発。
青森市から野辺地までの4号線はやや渋滞気味だったが、
そこからは下北半島への道を曲がると極端に車少なっ。
おまけに街灯も少なく「この先、行ってもいいんだよねえ?」と
嫁と不安げに顔を見合わせながら車を走らせる。
途中休憩しながら午後10時ちょい前に、
むつ市にある「矢立温泉キャンプ場」に到着。ふー。
今日はここを幕営地とするっ!
受付時間ぎりぎりだったが、利用料200円を払いテント設営。
貸ロッジには何人か泊まっているようだが、
テントサイトは我が家の貸切り状態。
この時期のキャンプはまだ早いのかね、やっぱり。
さてテントの中にマットと寝袋を広げ、ヘッドライトの灯りの中、
のんのんと焼き鳥をつまみながらのビール晩酌。
充実した一日だった、お疲れ様。
(つづく)
【今日の移動距離】
宮古市〜田老〜久慈〜八戸〜七戸〜八甲田山麓〜青森市〜野辺地〜むつ市
(約340q)
posted by ぐれっち@きょーごく at 22:48|
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